隻眼の鬼。

ある年一族に、一人の子供が此の世に生を受けた。
その子供の、目が覚めるような髪色に、大人達は不吉だ、と口々に云い放ち、
自我の目覚める前に其の小さき命を絶ってしまうことを、母親に要求した。
当然、母親は其れを拒絶し、子供を我が手元へと匿った。

已むこと無き叫声。崩れること無き均衡。
三日三晩の攻防の末、遂に子供は取り上げられ、母親は必死に命だけは、と懇願した。
その結果、命だけは見逃されることとなった。生涯、其の身を拘束し続けることを絶対の条件として。
母親は、これから二度と会えないであろう我が子に、自らにできる最後のこととして其の名を贈った。

気高く紅き、夏の名を。

*

もう、何もかもウンザリだ。
代わり映えのない、景色と。繰り返される毎日には。
物心ついた頃から、たった一人で木枠の檻の中に居た。小さな手枷と、足枷と共に。
温度を伝えない、冷たい石の床の所為で擦り切れた手足も、最早痛みすら感じなくなっていた。

小さな、格子のはまった窓から覗く、四角い世界に酷く憧れた。
自分と同じくらいの年頃の子達が、楽しそうに笑い、はしゃぐ姿を見つめていると、
無邪気に笑う彼等を羨ましく思う反面、どうして自分だけが、と彼等を憎らしく思った。否、恨みさえした。
自分は生まれたときから、この小さな四角四面の部屋に押し込められ、
身の回りの世話以外の時は、人と接することなど許されず、只、穏やかに、緩やかに死を待つだけの人生だというのに。
片や彼等には、その小さな両の手に有り余るほどの無条件に与えられる幸せと、
幾重にも分岐する、数多くの未来が存在しているのだ。

一体、彼等と自分との間に、どんな違いがあるというのか。
同じように息をし身体を動かし、同じように「幸せになりたい」、と願っているのに。
只、見た目が少し違っているという、それだけのことなのに。

毎日、そんなことを考えて、繰り返し、否定する。
あるがままを受け入れられるように、心の中を空っぽにするよう、努める。
そうすることで自我を保ち、崩壊していくことを防ぐ。

所詮、何考えても無駄なのだ。この狭い牢獄の中では。

*

格子の窓から差し込む、光の位置が高い。
そろそろ昼食の時刻だろう。心なしか、辺りの空気もさざめいている。また、揉めているのだろうか。
大人達は、自分の元へ来ることを極端に嫌う。我が身に、其の不吉が降りかかることを恐れて。
だから毎度、責任を擦り付けるのだ。
もう何度も繰り返された、当たり前の日常。

暫くした頃、ようやく一人の男が小さな木製の盆に載せた、少量の食事を運んできた。
いつものように、癪に障る誹謗を連れて。
どうして自分が、だとか。御前なんか、だとか。在り来りな、云ってみればお決まりの台詞。
耳に蛸ができるくらい、聞き慣れた罵詈と雑言。
石の床に、コトリと音を立てて盆が置かれる。鉄の鍵を使い、自由を奪う檻の戸を開ける。
ゆっくりと眼を閉じ、其の音色に聞き入る。金属の擦れる時の響き合うような、微かな音が好きだ。

不意に上方向へ力を加えられ、思わず小さく声を上げた。
久方ぶりに訊いた、自らの声は、長く酷使していなかった所為か、やたらと掠れていた。
髪を掴まれ、足先が床から離れるくらい、持ち上げられる。掴まれた頭髪の、付け根が痛みで熱くなる。
首に手を当てられ、無理に上を向かされる。呼吸もままならず苦しさに呻いた。
こんなこと、初めてだ。
躊躇わず、触れてくる指先の温度は、今まで感じたどんな物よりも熱かった。

死んでしまえ、御前の存在なんて無くても同じだ。否、寧ろない方が有り難い。
男の口から零れる言葉に、訳もなく従ってしまいそうだ。居ても、居なくても同じならば。
一層此の身を捨ててしまおうか。
そうさ、それは簡単なことだ。この力に抗わなければいいだけのこと。
屈服して、従って。此の命を呉れてやればいいのだ。自分の命を、其の掌の上で弄ぶこの男に。

そう考えて、意識を手放して、永久なる眠りに堕ちるその刹那。不意に母の顔が頭に浮かんだ。
覚えているはずの無い記憶を、脳は覚えていた。
泣く泣く我が子を手放す、悲痛な其の顔を。優しく名を呼ぶ、其の声を。

其れを思い出した直後、僕は手枷の先に付けられた鉄の塊を勢い良く振り上げ、
男の顔面に死角である背後から、其れを叩き込んだ。
喉元を拘束していた男の手は、痛みの為か緩められ、其れを機に、僕は素早く彼の腕の中から逃げ出した。

手枷の先に付けられた重りを抱え、足枷を引きずりながら檻から滑るように脱出する。
人、一人しか通れない程の狭い階段を駆け上がると、先刻の騒ぎを聞きつけたのか、大勢の大人達が集まっていた。
一人の男が、手に小刀を掲げ、じりじりと近づいてくる。
生まれてから此の方、殆ど動いたことが無い所為だろうか。
既に、僕の肺はオーバーワーク状態だ。呼吸をすることさえ苦しい。
ちらりと顔を上げ、男の顔を睨め付けると、彼は静かに嘲笑した。
最早、逃げられないだろう。ゆっくりと言葉を紡ぎ、左手の小刀を僕の右眼に刺し込んだ。
余りに自然で、唐突な動きだったので、避けることも出来ず僕は右眼を押さえ、其の場に蹲った。

痛みと、怒りで意識が混濁していく。理性で抑えた感情が、零れ落ちるかのように爆発する。
抑えきれない内なる力で、周りの物をひとつひとつ破壊してゆく。
先ずは自分を刺した男。それから辺りの笑っている男達。
牢獄を、家を、村を、大人を、子供を。

自らを拘束する、全ての物を。

*

ある日小さな噂が、電撃の様に辺りを駆け廻った。
紅き夏の名を持つ小さな鬼は、其の存在で全てを滅ぼす、と。
一夜にして滅ぼされた村の多さは数知れず。数える事すら馬鹿馬鹿しいほど、その数は多い。
いつしか人々は、彼を廃墟鬼、と呼んだ。

母親は、小さな子供に閨で囁く。
紅き髪もつ隻眼の、小鬼が現れたら逃げなさい。何があっても逃げなさい。
怒らせることは、楯突くことです。さすれば彼は何もかも滅ぼすでしょう。

其の、隻眼の瞳で。

2003年9月頃発行した、オリジコピ本より。もう一編はウタツカイの「毀れた弓」。
なんっつーか、色々疲れる話ですね・・・これ・・・・。
せっぱ詰まって2.3日で書くからこういうことになるんだろうなー。
色々と恥ずかしい間違いが有ったのでちょこちょこ直しました。

ずっと昔に描いた、「廃墟鬼」のイラストより派生。
眼帯と廃墟鬼というタイトルの理由を考えながら書いていたらこんな話になりました。
存在だけで辺りを破壊するってどうなんだろう(笑

一応この子の話はコレで終わりのつもりです。
のらりくらりと辺りを破壊しながら普通に生きてくと思います。

03.09初出、04.05.15改訂